我々日本人の美徳として、
「ひたむきに努力する事」は有ると思います。
努力することは素晴らしい。現に、私のブログを見てくださっている方々も、
私も、努力している真っ最中でしょう。
努力して乗り越えていく。
昨日より今日、今日より明日の精神は、
成長していくのに不可欠な意識だと思ってます。
がむしゃらな努力は危険?
そこで、記事タイトルにも書きましたが、がむしゃらと言う言葉。
がむしゃらな努力です。熱血です。少年漫画とか、アツイ展開には付き物です。
けど、これはすこし危険な思想です。
この、努力は美しい、褒められる、讃えられるべき行為。という思想は、
知らず知らずのうちに、努力することが目的になりがちです。
未だに残っている、残業している社員=頑張っている。 のようなもので、
仕事をこなす事が目的なのだから、残業0で完璧に仕事をしている人と比べて、
残ってまでやっているのは、内容によっては別に褒められた事ではありませんよね。
(※無駄な残業じゃなければ良いと思います)
この背景には、
努力して、大変な思いをする、つまり苦労することが素晴らしい。というような
風潮がちょっとあると思います。
少なからず、苦労したら良い事がある。かのような刷り込みがあると思います。
だから一歩間違えれば苦労することが目的になってしまうのです。
努力する対象を見失わない事
例えば、
海を渡るのに、ひたすらゆっくり泳ぎ続けるのか、
まず海に出ないままイカダ作りに奔走するのか。
日本を横断するのにひたすら歩くのか、
自転車を作ろうとするのか。
同じ努力でも、
どちらも後者の努力をするべきです。
前者の話って、なんか美談っぽくないですか?
なんかしんどそうで、苦労していて、
そしてそれを乗り切ったら、すごいですよね?
それが危険です!!
実際、目的を効率的に達成したのは、
後者の方です。頭が良いのも後者の方。
目的をいつも見直す
努力は努力することが目的ではなく、
達成することが目的なんです。
とにかく頑張ろう!!!とモチベーションが上がっている状態は良い事です。
でも、早速動きだす前に、
動き出す内容が間違いじゃないか見直しましょう。
そして、できれば週1回、せめて月1回は振り返ることです。
苦労することが目的になっていないか?
今のやり方が本当に正しいのか?
成果はあるのか?
軌道修正が大事です。